(6)達弥西心のわかりやすい話「不動産」

達弥西心のわかりやすい話「不動産」

●木を植えよう - HMU 達弥西心

むかしにぎわった商店街がさびれて、空き家になって家が老朽化したら壊して、空き地に木を植えよう。その木が大きくなったら、木陰でランニングシャツにステテコ姿で将棋をさそう。女たちはみんなノースリーブのワンピース。子どもたちはメンコだ、ママゴトだ。うちわに、かとりせんこう、せみの声。街がさびれていくたびに昔にかえっていく。森になっていく。笑い声がよみがえる。

人がこの世を去ったら、石のお墓の代わりに木を植えよう。その木が大きくなって枯れていくまで、その木を見上げる人たちを励ましつづける。人がこの世を去ったら木を植えよう。人生の記念樹だ。

誰かがこの世を去っていくたびに、地球は森にかえっていく。もといた場所が私たちの行き着く場所。

●みんなふるさとが好きなんだ - HMU 達弥西心

以前、私はある市に住んでいた。住宅会社の支店長をやっていた。基地のすぐそばの町に6棟の建売住宅を計画した。飛び立つジェット機の騒音で会話もままならない場所だ。その計画にまわりの者はこぞって反対した。部下の営業社員たちも渋った。売れないのではないかと心配したのだ。

私には、ふるさとは住みたい場所、いまは帰れなくても忘れられない場所、という強い思いがあった。

チラシ広告に「いいとこみ〜つけた、○○町」とデカデカと大きく太くコピーを刷り込んで新聞朝刊に折り込んだ。まだ建築も始まっていないただの空き地での売り出しは、朝一番の現地受付開始後、わずか30分間で6棟すべてを完売した。営業担当者が現地に着いたときには新聞チラシを見た地元の人がすでに並んでいたという。

みんな言葉には出さないけど、自分が住んでいるところ(ふるさと)が好きなんだ、そこ(ふるさと)に、自分の好きな人を呼び寄せたいんだ、と、しみじみ思った。

ふるさと、基地、とくれば政治につながりそうだが、まったく関係ない。うれしいことが大事、わかりやすいことが大事だと思っている。

●天からの一時的な預かりもの - HMU 達弥西心

「自分の足元の土地くらい自分のものにしたい。でも土地は地球がある限り、自分が生きている間、借りているもの。そう思えば、権利を振りかざして、他人に迷惑かけてまで手に入れようと思わない」。

こう言われたお客さまがいた。

相続ができていない土地で所有者の移転ができず困っていたとき、この言葉ですんなり取引が成立した。

不動産は読んで字のごとく動かせない財産のこと。生きている間、一時的に所有し、借りているもの。残していくものではない。しがみつくより手放していけるような使い方をすれば、みんなが幸せになれると思う。

時代にあった活用の仕方、その時の所有者の活用法で瞬間的にも輝ければとても幸せだと思う。こだわらずに売る、もしくは貸す。さらにはあるものに手を加えて、新たな人たちに渡していく。これは会社創業以来の基本的理念だ。

「子孫に美田を残さず」という言葉があるが、全国で『家の跡取りは長男とは限らない』という講演をして回っている私は、こう解釈している。「一生を終えて後に残るのは、自分たちが集めたものではなく与えたものであるのがいい」と。

●ブームに乗れない(7/7) - HMU 達弥西心

その一週間か二週間後、「このバブルはおかしい」という特別番組をテレビでやっていて、それで一気にシューッとしぼんでいったのです。バブルがはじけたのです。

私はお金を借りなくてよかったなと思いました。何か、あの時に絶対に手を出してはいけないという感じが自分の中にありました。はじけるに違いないとずっと思っていましたが、その一方で不動産好況最盛期だというのに、自分がそういう中にのめり込めないわけで、自分は不動産業の経営には不適格だと、どこかで思っていました。

●ブームに乗れない(6/7) - HMU 達弥西心

ずーっと市内の不動産屋さんを回ったがそういう意見は一人も一軒もなかったので、テレビに出てそのことを話してくださいと言われたのですが断りました。私は他の不動産屋さんとの仲がいいわけでもないし、そんなことをしたら水を差すことになりますから「私は出ません」と言ったら、その記者は「残念ですねぇ」と言って帰っていきました。

●ブームに乗れない(5/7) - HMU 達弥西心

そんな折、地元テレビ局のある記者がきまして、「いま不動産屋さんをずっと回っているんですけど、不動産屋さんはみんなまだまだいけるって言っているんだけれども、あなたはどう思いますか」と聞かれたので、私は「これはもう時間の問題だと思います。マンションはたくさん建っているけれどこの町の人口は増えていないし、中で繰り合いしているだけで、間もなく絶対にこれは止まりますよ。外の金が入り込んでいるだけの話であって、この街に人は入っていません」と言ったら、その記者が自分もまったく同じ考えだというのです。

●ブームに乗れない(4/7) - HMU 達弥西心

ところが銀行さんは「お金貸しますから絶対に買った方がいいですよ、かばんを持って動き回る営業はおしまいですよ」なんてことを言っていたのです。「おたくだったら、いくらでも貸します」と。

「いや私のところは結構です」と断り続けていました。

●ブームに乗れない(3/7) - HMU 達弥西心

オーナーは住まないのにどんどん建ってくると、入居者はいますが近所の安いアパートに住んでいる人たちがここに移動しているだけの話であって、働く場所もないし人口が増える理由がない、人口増は無理だと思っていたので、私はこのバブルはいずれはじけるとずっと思っていました。だから専念できないところがあったのです。

●ブームに乗れない(2/7) - HMU 達弥西心

というのも、私は市役所に行って人口の動きを見ていたのです。10年間毎月掲示板の人口の増減状況を見ていました。人口はほとんど変わらない、10年間ほとんど増減のない町なのです。そこに突然マンションが建ったからといっても、そのマンションを買う人たちはそこに住むわけではないのです。都会にあったものを売った人とか、首都圏のものを売って余ったお金でこっちにも一応財産として持っておこうという感じで、完売はしていましたがその人たちはそこに住まずに貸すのです。

●ブームに乗れない(1/7) - HMU 達弥西心

そのころ世はバブル経済の上昇期でした。そのバブル最盛期に、私は不動産業に専念できなかったことがありました。とにかくどんどん、どんどんビルが建ってくる、マンションが建ってくるのですが、なぜか専念できなかったのです。

●幸せの住まいづくり のその先(9/9) - HMU 達弥西心

会員制のサロンです。(このサロンはその後、私がなぜか突然嫌になって交流会を解散し閉鎖してしまうのです。いま思えば達弥西心への準備のための別れだったのだと思います)

●幸せの住まいづくり のその先(8/9) - HMU 達弥西心

事務所でお願いしますと言われても、無理だよねぇあんな暗い部屋では・・・と思っていた部屋です。

上の階のワンルームも全部決まっていて、ここだけが残っていたので何とかしないといけないなぁと思っていました。講演会の人たちには「そんなものないよ」と言っていたのですが、「ある!」と思ったのです。そこを借りようと。そこで私が借りて、そこに異業種交流会のサロンをつくって、会員制にして貸すことにしたのです。

●幸せの住まいづくり のその先(7/9) - HMU 達弥西心

「そんなことできるわけない、これでも赤字でやっているのに」とチラッと思いましたが、ちょうどその頃入居者を埋めなければいけない新築のワンルーム賃貸マンションビルがあって、その1、2階が店舗で、2階と1階の前は決まっていたのですが、1階の奥の部屋だけがどうしても決まらずに残っていたのです。1階の後ろなので暗くて日が入らない北向きで、もう飲み屋さんしかないなあというような部屋でしたが、オーナーさんが「飲み屋だけはダメ」「事務所でお願いします」というのです。

●幸せの住まいづくり のその先(6/9) - HMU 達弥西心

ということで地元の人たちが前の方に並んで座るようになって、その人たちがいろんな人を連れて来てくれるようになり、そのうち前の方はいつも常連さんたちがいて、どんどん盛り上がってきたのです。

私が講演前に主催者として5分くらい話をするのですが、講演会が終わった後、あるときこの前の席の人たちが「講演会ありがとうございます」「みんな仲良くなりました」と話し出しました。勝手に仲良くなってもらうのは構わないのですが、「それでお願があるんですけど、おたく不動産屋さんなんだからどこかこの仲間たちが集まれる場所を提供してくれませんか」と、さらりと大胆なことを要望されました。バブル経済ということもあって、そんな夢みたいなことがあっさり実現しそうな時代背景は確かにありました。

●幸せの住まいづくり のその先(5/9) - HMU 達弥西心

ちょうどその頃に地元の夕刊紙が、不動産業をやりながらこんなことをやっているということに興味を示して講演会の話題を取り上げてくれて、記事で次の講演家の先生はこういう人でといろいろ宣伝してくれたり、チケットプレゼントやりましょうとか、いろいろ仕掛けてくれたために地元で「講演会」が有名になったのです。

●幸せの住まいづくり のその先(4/9) - HMU 達弥西心

ところが、講演会場にはその人たちの姿はほとんどなくて、私の思惑は外れて、うちの不動産業とは全然関係のない人ばかりでした。念い(おもい)はゆるぎなくまっすぐでも、伝わらないこともたくさんあることを知りました。

●幸せの住まいづくり のその先(3/9) - HMU 達弥西心

あとはお金の問題だけですから、全然採算は取れなかったけれど、うちで不動産を買ってくれた人たちが幸せになれるようにということで、「明るい明日のために」という講演会を始めたのです。うちのお客さんたちには全部ハガキで案内を出したので、その人たちがみんな来てくれたらと思ったのです。

●幸せの住まいづくり のその先(2/9) - HMU 達弥西心

そこにたどり着いた時に、とても無理していた異業種交流会とかミニコミ紙発行とか講演会の開催というものが私の中で矛盾なく繋がってきたのです。それで、ますます講演会を充実させないといけないなと思ったので、内容がどうのこうのでなく私が聞いてすごく元気になる講演家の先生を呼んでこようと決めて、自分が全国各地に出かけて聴いた講演の講師先生のところに、講演が終わるや否やすぐに名刺を持っていって、「地方の町で不動産業をやっているんですが、講演会をやっていますので来てくれませんか」と頼んだのです。

●幸せの住まいづくり のその先(1/9) - HMU 達弥西心

それまでの私は、業者として家を建てることがお客さんの夢を実現すること、建物を提供することは夢を実現させるということで「幸せの住まいづくり」ということをしていました。しかし、新築の家に住むある小さな男の子の不幸せそうな顔を見て愕然としたことをきっかけに、方向が見えてきたような気がしました。

家を手に入れた人はもうあとは明るく生きるしかない、アフターケアとして建物のケアは当たり前で、その家に住む人の心が明るく前向いて生きていけるようにしてあげなくてはいけないのではないかと思い至ったのです。

●このままでよいのだろうか(7/7) - HMU 達弥西心

このあたりを眺めるといかにも順調みたいに見えるのですが、本流ではないところを一生懸命走っていますから、私は何か常に心が乾いているような感じ、これでいいのだろうかと常に思っていました。取引銀行さんあたりからすると、おもしろいねと言いながらも本業に専念してくださいよという感じがありました。いろいろと忠告を受けましたが、私としてはそういう道を歩くことしかできなかったのです。心がカラカラに乾いていました。

●このままでよいのだろうか(6/7) - HMU 達弥西心

ところが、不動産業と異業種交流会、ミニコミ紙、講演会はなかなか繋がらない、中では当然繋がらない、外から見ても繋がらないのです。繋がらないのにそんなことを本気でやるものだから、おもしろがる人は不動産屋さんが講演会始めたとか、異業種交流会をやっているといい、何か思惑があるのではないかと思いつつも、その思惑というものが全然読めないものだからおもしろがって話題として取り上げてくれた点は良かったのです。

●このままでよいのだろうか(5/7) - HMU 達弥西心

欲と欲のバランス取りの世界は嫌いではありませんでした。醒めた目で、中に入って眺めると実に興味深い世界ではありました。

欲と欲のバランス取りの世界からできるだけ遠いところに自分を置いておきたいのですが、それらを何かで結びつけておきたいというか、不動産業とは全然違うことをしていきたいけれど、二足のわらじは履けないけれど、二足のわらじを履くのだったら関連のあるわらじにしたいと思いましたから、何かの関連付けを一生懸命探していたのだと思います。

●このままでよいのだろうか(4/7) - HMU 達弥西心

その反面、自分はこのままでよいのだろうかと常に思っていました。使命のはたらきというのは常に考えていましたが、いつもクエスチョンがつきまといました。心がいつも乾いていました。乾いていた心をどうやって潤し穴埋めしようかと考えつづけた結果が、異業種交流会を主宰したり、独自のミニコミ紙を発行したり、講演会を開催したりなどの活動だったと思います。はっきり言って不動産業というお金でモノを動かす、欲と欲のバランス取りの世界からできるだけ遠いところに自分を置いておきたかったのだと思います。

●このままでよいのだろうか(3/7) - HMU 達弥西心

ところがあまり自分でのめり込めるほど好きでなかったから結果良かったかもしれないと思うのですが、人がどんな不動産業を求めているかを客観的に見ることができたのです。自分が不動産業に対してまったく熱くならないという感じでした。

不動産を扱っているとだんだん熱くなってしまって、この物件はお客に売るよりも自分で持っておきたいなぁという人が多い中で、私はそんなことは全然思いませんでした。安い物件なら安く売ってあげた方がいいというふうに思っていました。

●このままでよいのだろうか(2/7) - HMU 達弥西心

住宅業界から不動産業というのは何か近いみたいにみんな言いますが、実際はまったく違う業界で、正直なところ不動産業界には足を踏み入れたくないなという感じでした。古い体質だし、うさんくさく見られるし、あんまりしたくないなぁと思っていた業界だったのですが、不可抗力でそれに入っていくわけです。

●このままでよいのだろうか(1/7) - HMU 達弥西心

私は29歳の時に不動産業を始めました。どうして不動産業を始めたかというと、それまで住宅会社に勤めていて、不可抗力というか自然と自分で何かをする羽目になったのです。

何かをしようと思った時に、手元にある自分が何かに使えそうな資格というと運転免許証と宅地建物取引主任者証というこの二つだったのです。この二つを使って何ができると考えたら不動産業しかないわけです。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(6/6) - HMU 達弥西心

不動産屋や住宅会社の仕事としては、家を建てて渡してしまったら、アフターサービスとしてサッシ動きますか? 雨漏りしていませんか?ということは当たり前のこととして、心のケアというか、その家に住む人の中身である、心が明るく前向いて生きていけるようにしてあげなくてはいけないのではないかと思い至ったのです。

それまでどうしても自分の中でつながらなかった不動産業と生き方提案の接点が見えてきたのです。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(5/6) - HMU 達弥西心

私は業者として、家を建てることはお客さんの夢を実現するということ、いわゆる建物を提供することは夢を実現させるということ、幸せの住まいづくりということをモットーとしてやっていたわけです。しかし、その建物を提供してしまったために、その家族は不幸になってしまったかもしれないなぁと思ったのです。

この家が暗く見えたのは、その中に住んでいる男の子が暗いからなんだと思いました。そして男の子が暗いのは、男の子の心の中が暗いからなんだと思ったのです。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(4/6) - HMU 達弥西心

その男の子に「ぼく、何か元気ないねぇ?」と声をかけると、「全然おもしろくない」と言うのです。挙句の果てに「前のアパートが良かった」と言い出し、「どうして?」と尋ねたら、「向こうはたくさん友達がいたけれど、こっちは全然おもしろくない」。

「部屋をもらえて良かったじゃない」と言うと、「全然おもしろくない、前の方が良かった」とくり返すのです。間違いなく幸せになっていると思っていたその家族の、少なくともその男の子は不幸せなのです。その小さい男の子は、暗い顔をしている。不幸せな顔をしているのです。幸せの住まいづくりではなかったのか、と私は愕然としました。

そのあと、お母さんの勤めているスーパーに行って書類を渡して帰ったのですが、何か気になってしょうがありませんでした。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(3/6) - HMU 達弥西心

それから何ヶ月か経った頃、私はその家に書類を持っていく用事があって、訪ねました。家の前に車を止めてふっと見ると、家が新築なのにくすんでいる感じ、何かモヤがかかっている感じの雰囲気で「なんかこの家、暗いなぁ」と思ったのです。

気のせいかなと思って玄関のチャイムを押すと、出てきたのは一番下の男の子で、暗い顔をしているのです。とても元気だった子が、とても暗い顔をしている。「お母さんは?」と尋ねたら「スーパーに行っている」と言うので、「じゃ、買い物なんだ」と言ったら、「ううん、お勤めしてる」と。

住宅ローンを払うために近所のスーパーで働き出したのだと思いました。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(2/6) - HMU 達弥西心

子どもたちは狭いアパートに住んでいましたから、ぼくたちの部屋がもらえるということで、大はしゃぎでほんとうに喜んでいましたし、ご主人や奥さんも、田舎から出てきて頑張ってここまできたよね、という感じで、新しい家を建てることに対して、全員が幸せになれると顔が輝いていました。

やがて家が完成したときに、田舎からご主人の両親が来られて、私にいろいろとお礼を言われました。息子たちが田舎から出てきてこうして家を建てたのだけどお世話になりました、息子たちもよくやったと。

とても大きな事業を成したように私に言われて、やっぱり不動産業をやっていて良かったなと正直なところ思いました。幸せの住まいづくりだと。この家族は絶対に幸せになれると思いました。

●不動産業をしていたころ思い至ったこと(1/6) - HMU 達弥西心

あるとき、土地の購入を決めた方から「家も建てたいので一緒にお願いします」と言われました。私はみずから担当として図面をひいて、現地に連れて行って図面を見せながら、この土地にこうなりますからねと説明するのですが、「ようわからんなあ」と言われ、「とにかく建ててくれ、任せるから」ということでした。それで、にぎやかな場所のアパートに住んでいる、男の子が3人いる五人家族のところに通いながら、毎晩のように図面の打ち合わせをして進めていきました。

●動かせない財産 - HMU 達弥西心

不動産は「動かせない財産」と書く。買ったからといって持って帰るわけにいかない。人生の喜びも悲しみもこの不動産というステージの上で展開される。不動産はこの世を生きている間だけ一時的に所有を許されるものだ。

この世を生き抜いた人が遺していくものは、集めたもの(得たもの)ではなく、手放したもの(与えたもの)であってほしい。自分が使ったなら次の人たちに譲っていく、棚田の水のように上から下へと順々に譲っていく。

生きてきた人生はどれだけ与えることができたかで計られる。

HMU 達弥西心

達弥西心のわかりやすい話「不動産」

共通テーマ:
答えを持っておきたい質問 テーマに参加中!
準備中です。
記事検索
  • seo
QRコード
QRコード
  • livedoor Readerに登録
  • RSS
  • livedoor Blog(ブログ)